小泉セツとは?八雲を支えた妻の知られざる物語
NHK朝ドラ『ばけばけ』で注目される作家・小泉八雲。その人生を語る上で欠かせない人物が、妻の小泉セツです。ドラマの中では夫を支える姿が印象的に描かれますが、実際のセツもまた、八雲の文学活動や暮らしを大きく支えた存在でした。本記事では、彼女の歩みと役割を改めて振り返ります。
松江に生まれたセツ
セツは1855年、松江の士族の家に生まれました。幼いころから礼儀作法や家事の知恵を身につけ、和の暮らしを体現する女性として成長します。当時の日本では、外国人と結婚することは珍しく、時に偏見もありましたが、彼女は自らの選択を貫き、後の人生を大きく変えていきます。
ラフカディオ・ハーンとの出会い
1890年に松江へ赴任したラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)は、そこでセツと知り合います。翌年には結婚し、ハーンは日本に帰化して「小泉八雲」と名を改めました。
セツは英語を話すことができませんでしたが、日々の生活を通じて八雲に日本文化を伝え、彼が異国で根を下ろすための大きな支えとなりました。その経験が作品の源泉になったことは想像に難くありません。
家庭での役割と支え
4人の子どもを育てながら、病弱で神経質だった八雲を献身的に支えたのもセツです。家計のやりくりや食事の準備、さらには執筆の環境づくりまで、日常生活のあらゆる部分を取り仕切りました。彼女の存在なくしては、八雲が数々の著作を残すことはできなかったでしょう。
『ばけばけ』での描写
ドラマ『ばけばけ』では、八雲を支える良妻というだけでなく、芯の強い女性像として描かれています。視聴者の中には「裏の主役」と評する人も多く、改めて彼女の人生に注目が集まっています。
晩年とその意義
1904年に八雲が亡くなった後も、セツは家族を守り続けました。夫の文学的遺産を残すために尽力し、八雲の作品が日本と世界で読み継がれる基盤を築いたのです。
セツは単に「文豪の妻」としてではなく、西洋と日本をつなぐ架け橋となった女性として、歴史に名を刻んでいます。
まとめ
小泉セツは、夫の伴侶であると同時に、日本文化を伝える存在としても重要な役割を果たしました。『ばけばけ』をきっかけに脚光を浴びていますが、その生涯は日本文学史の一端を支えたものといえるでしょう。